【京都家紋工房】型染め友禅体験【柊屋新七】
あっついあっつい京都の夏に来てくださいました!
感謝くんを気に入ったお客様、ほとんどの感謝くんの型を使われてコースターに刷っていました。
ありがとうございました!
こちらは、スタッフ私物のディーン&デルーカのバッグなのですが、9年前に買った物です。
現在販売されているものとかなり規格が違うかもしれません。
白地だったので染みも目立ってしまっていましたが、
帆布なのでとてもしっかりしていて、捨てずに残していました。
そしてこの度、黒色のバッグとして生まれ変わりました!!嬉しい!!泣
本体・白生地の方に染料がしっかり入っているので、黒い文字部分が白く見える現象が起きています。
文字部分は後乗せのプリントなので、染まらないんです。ただし汚れや傷などあると
その部分に染料が入るので、全く最初の段階と同じ色とはいかないんですね。面白いですね。
持ち手は化学繊維のものなので染まりませんでしたが全体的に若干青くなりました。
違う色の物に取り換えて、長く使いたいと思います。
クローゼット整理の時など、これは?と思うものがありましたら
馬場染工までお問い合わせください!
ふ
室町時代、京都の名水は染織業の発展に寄与しました。
美味しい水は、酒、お茶に変化したのです。
かつて、京都駅のすぐ西側を南北に《西洞院(ニシノトウイン)川》が流れていて、
常盤井・滋野井・柳の水・等の水脈・を担っていました。
川沿いでは、染織業や製紙業が増え、
江戸時代には、黒染めの一つ、[吉岡憲法]が開発した染めの技術《憲法染め》や《西洞院紙》が生まれました。
吉岡憲法は、あの宮本武蔵との[一乗下がり松]で決闘した人物です。
吉川英治の小説で、宮本武蔵は蓮台野で道場主の《吉岡清十郎》を倒し
その後、三十三間堂で弟:吉岡伝七郎を一撃で殺したのです。
そして、・一乗下り松で、吉岡道場一門70数名相手に、両手双刀で死闘を繰り広げたました。
破れた吉岡一門は道場を閉じ、染物屋になったとされています。
実際《吉岡伝》には…
清十郎・伝十郎兄弟の名前は無く、[吉岡憲法]と武蔵が闘ったとあり、
染物屋も[憲法染め]として、以前より職業にしていたとされています。
また、吉岡道場閉鎖も武蔵とは関係無く、朝廷内の猿楽興行中、
見物客の吉岡清十郎と警備役人がいざこざを起こし、役人を殺した挙げ句、
斬殺された為であったと伝えられています。
【慶長19年(1614)6月29日・禁裏騒擾(キンリソウジョウ)事件】
★書院風のお茶を発展させた [能阿弥]は、お茶の七名・として、
①御手洗
②常盤井
③醒ヶ井(サメガイ)
④水薬師
⑤大通寺
⑥中川井
⑦芹根井
を選んでいます。
さらに、江戸時代には、千利休が利用した、
①利休井②菊水の井③柳井④晴明井⑤三斎井⑥農園井
裏千家が用いた、相国寺の西側⑦梅の井が挙げられます。
京都の名水・は、兵庫県の灘と並び、《伏見》が名酒勀の産地となっています。
江戸時代まで《伏水》と書かれていましたが、明治時代に《伏見》に統一されました。
銘酒に変わる名水は、《石井》から溢れる霊水の《御香水(ゴコウスイ)》が、
御香宮神社に湧き出ていて、現在《全国名水百選》にも認定され飲用ができます。
さて、そんな名水・にも、自然ではなく、人間により壊滅させられる危機・がありました。
昭和3年(1928)、伏見には《陸軍十六師団の施設があり、
京都奈良間を近鉄奈良線が走る際、施設内を見せないようにする為に、地下鉄案が出されたのです。
地下水に影響を及ぼすと考えた酒造業者は大反対して、
伏見に地下水が無くなれば、酒が造れず、酒税納税も減るぞと訴え、
現在の高架式軌道へと変更させました。
危うく、美味しい水も酒勀も飲めなくなるところでした。
【参考文献】
「もっと知りたい!水の都 京都」
鈴木康久.平野圭祐.大滝裕一編・人文書院
井戸の撮影では、中をライトで照らし下まで映していたので、スタッフもあわてて覗きに向かいました!
普段は300尺もある井戸の中は真っ暗でほぼ何も見えない状態ですので、
どの様なものなのかとわくわくしていました。
しかし覗いただけでしたのであまり見えませんでした・・!
そんな中でチラリと見えたのは、真っ直ぐではなく少しうねるように掘られた形状でした。
放送では一体何が映っているのか、当日が楽しみです。
京都1200年の旅の旅人である坂東巳之助さんがお越しくださり、五代目と柳の水に関してのお話や、
ちょうどお水を汲みに来た、日頃から柳の水をご利用下さっている一般市民の方々にお話を伺っていました。
最期にお写真やサインまで、なんてミーハーなことをお願いしてしまいましたが快く引き受けて下さり、本当にありがとうございました!
サインや写真はお水を汲みに来られた方々にそれぞれお渡しすることができ、とても喜ばれていました!
巳之助さん、スタッフの皆様、暑い中ありがとうございました。放送を、馬場染工一同楽しみにしております!
まだまだ続く猛暑ですが、どうぞ熱中症などにならないようご自愛ください。
●●2013年8月20、27日(火)の午後22時~22:
京都1200年の旅/HP http://www.bs-asahi.co.jp/kyoto1200/
丸に違い鷹の羽(まるにちがいたかのは)
▼▼家紋のページ▼▼
https://www.black-silk.com/gallery/2013/02/post-82.php
丸が付いていたり、付いていなかったりと、
家紋は本当にちょっとの違いのものが山ほどあります。
だからよ~く見て、「うちのはこれだ!」と見つけてくださいね。
家の家紋・・知らないなあ、という方は・・お墓です。
墓石には必ずその家の家紋が彫られているので、確認してみて下さいね。
また仏壇上部にも家紋が付けられています。瓦にもありますね。
案外身近なところにご自身のルーツは隠されている、というところが面白いですね。
馬場染工で作るオリジナルの黒グッズにお家の家紋を刷ってみませんか?
袱紗やハンカチ、風呂敷は慶弔でも使用できる銀色もご用意しています。
オリジナルの色は約24色ほど揃えているので、きっと気に入る色があるはず!
お持ち込みも可能ですので、好きなものに手軽にプリントできて
簡単に自分のオリジナルな物が出来ます。
刷るときの、あの一瞬の緊張感が何とも言えません!
ぜひぜひおまちしています☆
TEL.075-221-4759
馬場染工
一乗寺の狸谷山タヌダニヤマ不動院にて、
四代目が寄与した馬場染工の石碑がありました。
偶然見つけたという情報を提供して頂き、
驚きとともににスタッフ一同大喜びです!
狸谷山不動院の境内の中に宮本武蔵が
滝に打たれたという場所があるのですが、その近くにあるようです。
左京区一乗寺の瓜生山訒山中は狸がたくさん棲息していたから《狸谷》と呼ばれていた。
この地にある《狸谷不動》は、正しくは
《狸谷山タヌダニヤマ不動院》といい、
1718年.木食上人:村上正禅明厚により創建された。
宮本武蔵で有名な《一乗寺
下り松》や《詩仙堂》の東側の山を600mほど登らねばならない。
本尊:不動明王像は(由緒書では本尊を[陀怒鬼タヌキ]としている。陀は口辺惲惲)、
本堂内の石窟に安置され、
修験道の寺として知られ、
京都の表鬼門を守っている。
・厄除け・癌封じ(1/28笹酒勀
供養あり)・交通安全・自動車
祈祷の総本山である。
③狸谷山不動院・
左京区一乗寺松原町
・075-722-0025・9~16時
馬場染工・スタッフ
お越し下さったN様、楽しんで頂けましたでしょうか?
こんな猛暑の中お越し下さり本当にありがとうございました!
本日はタイミングよく、貸切状態での体験工房でしたね。
テーブル一面を使って紋刷り体験でしたがいかがでしたでしょうか?
馬場染工の家紋工房は、ただの家紋工房じゃないんですよ、オリジナルの家紋も作れてしまうんです!
N様は家紋がご希望でしたので、写真にある風呂敷と、掲載していないですが袱紗(ふくさ)に紋を刷られました。
一刷りして出来上がるごとに、緊張感と、その糸が解けた後の解放感、
完成した紋の出来上がり具合が合わさり、 「わ~~!」と声が上がりました。
お客様の楽しんだり、喜んでいる声を聞くと、教える側としては毎度感激、感動して非常に満足感があります!
N様はお茶をされているということで、京都の名水「柳の水」に興味を持たれて、
ついつい熱くお水についても語ってしまいました。
さらに黒染めのご依頼を頂きまして、感謝感謝です。
お預かりしましたお帽子、しっかり染めさせて頂きます!
馬場染工業では着物のオーダー もお取り扱いしています。
紋付 は馬場染工のメインの仕事ですので♪
馬場
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