縁結び大学におすすめデートスポットとして紹介されました!
「縁結び大学」様にておすすめデートスポットとして紹介されました!
記念日やデートの思い出作りに是非いらしてくださいね♪
インタビュー記事の詳細はコチラから!
これまでに届きましたお客様の声を掲載させていただきます。
本当に本当にありがとうございました
再びお気にいりのコートと会えて嬉しいです
まだ今年ももう少し着ることが出来ます
週末は寒波がやってくるとの予報がありましたので早速手を通したいと思っています
福岡県 K.K様
明治の大変革を乗り越えて
5.明治御一新と染色業界
幕末から新しい秩序を打ち立てる戦いが続き、京都市民もまた蛤御門の変による鉄砲焼けの大火で大きい被害を受け、
その傷も癒えぬ内に鳥羽伏見の戦いと騒然たる世相の続く中で明治御一新(1868)を迎えた。
京都に京都府が設けられ、経済活動が新しく始められ、
早くも明治元年九月には商売を行なっている者には従来下付されていた鑑札を全て廃停し、
新鑑札を下付するように布告が出されているが商工業の上にも大きい改革がせまられて来た。
このような大変動の中で茶染屋、紺屋等の大先輩は如何に身を処していったのか想像することも困難である。
その上に加えて天皇は東上したまま帰京されず明治二年(1869)には東京遷都が反対を押し切って実施された。
今まで政治、文化の中心として京都に各地から人々が集まり、多くの人々を基盤に、
そして日本各地を対象に商いが行なわれて来ていたが文武百官が打ち揃って東上してしまい、
各藩邸も閉鎖され、経済的に大きい空白を生じた。
また京都の有力商家も東遷した経済の中心を求めて相次いで東上し、京の町も目に見えて衰退し、
時の京都府知事が一有力者の東上阻止を図って訴えられる事件までが起きるような状態であった。
そして高級品の加工を行なっている京都の染織業界は染織物の良き理解者であり、
商いの上得意であった人々の東上によってピンチに追い込まれていった。
京都市内は櫛の歯が抜けたように空家が目立つようになり、御所の内外にあった宮家や公卿の邸は無人となり、
人口の減少も著しく、その上、インフレ不況下におかれるなどして経済の不振をまねき、
染色業は苦難の道を歩むことになった。
時の政府は京都の苦難に対し、産業振興のため西洋科学知識の普及を図るべく舎密局の仮局を
明治三年十一月に河原町二条に設置し、また勧業場が河原町二条下ル一之船入町の旧長州藩邸に開設され、
これらの施設の活動は京都経済界の再興の基盤となっていた。
京都府の記録によれば明治五年に於ける染色関連業者数は次のようになっている。
染色工場の数が千戸を越している。
こうした時代の激変を業界の先達がどう受け入れていったかは不明である。
しかし舎密局を中心に洋式の染色加工技術の指導が行なわれ、洋粉(化学染料)による染色を手掛ける工場も出て来て、
色目の鮮明さで一時は需要も出たと思われるが、当時は塩基性染料が主であり、染法もわからず、
ただ色を着けているだけの状態であって日焼けや変色など品質の低下をまねき、一時顧みられなくなった。
そうした事情が有ったのか舎密局では大阪へ人を派遣して英国の黒染法の伝習を行なっている。
明治六年二月
本府舎密所用掛上田吉兵衛及ヒ府下染工數名ヲ大阪ニ遺ハシ。
造幣寮雇入洋入「キンドル」ニ就テ。英國の黒染法ヲ受習セシム
これは洋式染色法、特に黒染を伝習させたものであるが染色の内容はログウッドの鉄媒染による毛織染であり、
当黒染業界の者も大阪へ出張した染工の中に含まれていたものと思われる。
当時舎密局では染色技術の振興に力を入れており、また西洋染色術の伝習には特に力を入れていた。
オーストリア博覧会の日本事務局随員としてウイーンに出張していた正院(政府)御用掛(農商務省勧業課技師)の
中村喜一郎が帰朝していたので明治七年十二月一日付けをもって京都府に着任せしめ、
ヨーロッパの染色法の伝習に当たらしめた。
中村技師の講習には一般業者を督励して殆んど強制的に聴講せしめたようで
中村はその後十五年まで舎密局染殿でもっぱら染色の指導に当たった。
舎密局では洋式染色法の正しい技法の指導と普及を推進するため舎密局付属として
実験場内に明治八年十一月に染殿を設置し、合成染料の色染法を教授し、
また河原町蛸薬師下ル東入ル備前町に京染場を設置して実物の染色工場として運用し、
一般から受注するようになった。
また京都府では夷川通の舎密局の前に西洋色染所を明治九年に設け、
染色の伝習希望者に教授するなど染色技術振興のため多くの施策が講じられた。
当業界の多くの先輩も伝習に参加した事と想像される。
しかし茶染業、紺染業、藍染業はいぜん、江戸時代のままの植物染料で染色しており、
輸入された化学染料による染工場を洋粉工場と呼んでおり、
茶染業の一部には油小路四条上ル永井新之助のように洋粉茶染工と呼ばれた茶染工場もあった。
次回へ続く→染色業界の組織化
【参考文献】
京黒染 著者 生谷吉男 京都黒染協同組合青年部会
発行者 京都市中京区油小路通三条下ル三条油小路町一六八番地 理事長 古屋 和男
発行日 昭和六十三年三月三十一日
これまでに届きましたお客様の声を掲載させていただきます。
こんばんは。
本日ワンピース受け取りました。
開けた瞬間に
わー!すごい!
と思わず声が出てしまいました。
お気に入りでたくさん着たワンピースが、新品のようによみがえりました。
本当に素敵です。感動しました。
また春になったら、今度は何年も着ているウールのニットを黒に染めていただきたいなぁと考えております。
その時はよろしくお願いいたします!
本当にありがとうございました。
千葉県 M.S様
*****************
本日、ピーコート届きました。
写真で観たよりも綺麗に紺色になっていて大満足です。感激致しました。
どこの仕立て屋さんに相談しても、
綺麗に染まらないから、とか、ここまでハゲたらどうしようもないと、
一蹴されていたのですが、デザインも気に入っていて、長年着ていたコートなので、
愛着が湧いてどうにもホカすことが出来ずにおり、
服飾に詳しい友人に薦められてダメ元でお願いしたコートでした。
本当にお願いして良かったです。しかも、あのお値段で!
教えてくれた友人にも本当に感謝です。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
取り急ぎ御礼まで。
東京都 I.Y様
4.紺屋仲間の変遷
宝暦六年(1756)に紺屋仲間が結成され、その後の宝暦年間には沙室上代染が仲間を結成している。
沙室上代染仲間は安永二年(1773)に沙室上代更紗染紺屋仲間と改称している。
紺屋仲間と沙室上代染仲間は防染加工して藍による地染をするということでは染色技法が似ているが
防染糊を置き、そのまま藍染しているのが紺屋で、
防染糊の間に刷毛で挿し彩色をする方法を取るのが沙室上代染仲間の仕事の分類に入る。
また両仲間共通の技法として摺り込み法としての南京染もあった。
以上のように染色技法別に仲間は明確に分けられていたことがわかる。
天明八年(1788)の大火で仲間の定書の実行が困難となってしばらく推移したが
享和三年(1803)になって仲間組織が再興された。
天明の大火は仲間組織の崩壊を呼ぶほど京都の産業界を痛めつけたようだ。
紺屋仲間は模様下染紺屋仲間を文化六年(1809)に合併し、
文政年間(1818~1830)には沙室上代紺屋仲間を併合して大きい紺屋仲間と成長し、
組織が大きいためか、上京、中京、下京と三つの地域に分けた組を作り、三紺屋と称した。
天保の改革で物価の値上げのカルテルの元兇として商工業の仲間制度の廃止がお上より
命じられ紺屋仲間も廃止されたが、嘉永六年(1853)に幕府が仲間組織の利を認めて再び仲間制度を設けた時、
嘉永七年十一月九日には紺屋仲間を再興している。
その後紺屋と類似の仕事をしている彩色屋や糊置職の一部のものを加入せしめ
紺屋仲間は明治維新後七、八年まで続いた。
これらの仲間は現在の協同組合組織と多少趣を異にしており同業者の情報交換、従業員対策、
染価の談合と申し合わせ履行の取締り等、染色業者の利益の保護を第一義としている。
当時の仲間は定書、仲間名簿を奉行所に提出してその認可の下で活動し、
冥加金として一年ごとにいくばくかの金子を奉行所に納めている。
紺屋仲間に属する工場の染色物の内容は天保年間に奉行所に提出した文書で知ることができる。
文書による業種区分を見ると紺屋は広範囲の染色業を指すことがわかるが現在の区分から見れば
等がその範囲に入っている。これらの中で模様染と地染が同一工場で行なわれていたので
地染を主として紺屋業と呼称されていたと考えられる。
一方こうした模様染が藍による地染によって広く行なわれていたところから当時の染色品は
如何に多くの青地色があふれていたことと推定され、他の色彩の染色法が草木からの染料抽出から始まり
媒染という複雑な技法を必要としたのに対し藍染は建て方 (藍還元溶解する) さえ修得すれば、
染法が比較的簡単であるので広く普及していたのではないかと思う。
紺染業は後日黒染業、友禅業、浸染業及び旗印染業と分化して行く。
そして京黒染業者のルーツを尋ねると紺屋、藍染業の工場も多い。
次回へ続く→明治の大変革を乗り越えて
明治御一新と染色業界
【参考文献】
京黒染 著者 生谷吉男 京都黒染協同組合青年部会
発行者 京都市中京区油小路通三条下ル三条油小路町一六八番地 理事長 古屋 和男
発行日 昭和六十三年三月三十一日
これまでに届きましたお客様の声を掲載させていただきます。
馬場染工業の皆さま
この度も濃く、黒く染めていただきありがとうございます。
お気に入りの一軍の服として来年もまた着ることができて嬉しいです。
水か冷たい季節となりましたが、皆さまどうぞお身体を大切にお過ごし下さい。
北海道 G.T様
これまでに届きましたお客様の声を掲載させていただきます。
お世話になりました
11月2日に届きました
もう着られないかな~と思っていたのが新品の様になったのでビックリ!!
処分しないでよかったです
どうもありがとうございました
千葉県 T.Y様
これまでに届きましたお客様の声を掲載させていただきます。
ワンピース・ボレロの黒染依頼し、お品が到着しました。
大満足の仕上がりです!!
あきらめずに依頼してみて良かった!!
ありがとうございました。
東京都 I.H様
********
8/17にお問合せ、黒染をお願いしていたワンピースですが、9/22無事に手元に届いております。
想像以上に美しい黒でした!
いつもは買わないカーキー色でも着てみようかと思い購入したワンピースでしたが、結局殆ど着ていませんでした。
今回黒く新しいワンピースに生まれ変わって、本当に嬉しかったです。
縫い目は黒に染まらないとの事でしたが、ステッチ部分がワンポイントになっていて良い感じでした。プレスもしていただき大変綺麗な仕上がりでした!
早速着てみましたが、(少し縮むかもとのお話でしたが、全く問題ありませんでした!)やはり黒が好きだなぁと、実感しています。着る回数が間違いなく増えそうです。
思い切って黒染お願いして良かったです。
この度は本当にありがとうございました。
追伸 またお願いしたい物がありますので近々連絡させていただきます!今後ともよろしくお願いいたします。
Y.Y様
これまでに届きましたお客様の声を掲載させていただきます。
暑中お見舞い申し上げます
先日はきれいに黒染めしていただきありがとうございました。
これからもお気に入りをお手入れしながら大切に着ていこうと思います。
京都府 M.T様
********
大変にお世話になりました
とってもキレイに染まってますね
ありがとうございます
思っていたよりステキな黒でとっても気に入りました
漂白剤が飛んでしまい悲しかったですが
また!活躍してくれるお気に入りのパンツができました
100点です♪
ありがとうございました
群馬県 I.H様
********
先日時間指定通りに品物が届きました。ありがとうございました。
パンツの縮みが心配でしたが、問題なく履けました。
仕上がり良く、洋服が甦り感激しています。
コロナ感染、残暑とまだ続いていますがご自愛くださいませ。
千葉県 Y.M様
これまでに届きましたお客様の声を掲載させていただきます。
暑中お見舞い申し上げます
黒染にしてもらいましたポロシャツ 誕生日に配達されました。
本当にありがとうございます。
暑い中での作業ご苦労様です。
皆様の健康をお祈り申し上げます。
東京都 Y様