京の名水のご紹介

室町時代、京都の名水は染織業の発展に寄与しました。
美味しい水は、酒、お茶に変化したのです。

かつて、京都駅のすぐ西側を南北に《西洞院(ニシノトウイン)川》が流れていて、
常盤井・滋野井・柳の水・等の水脈・を担っていました。

川沿いでは、染織業や製紙業が増え、
江戸時代には、黒染めの一つ、[吉岡憲法]が開発した染めの技術《憲法染め》や《西洞院紙》が生まれました。

吉岡憲法は、あの宮本武蔵との[一乗下がり松]で決闘した人物です。
吉川英治の小説で、宮本武蔵は蓮台野で道場主の《吉岡清十郎》を倒し
その後、三十三間堂で弟:吉岡伝七郎を一撃で殺したのです。
そして、・一乗下り松で、吉岡道場一門70数名相手に、両手双刀で死闘を繰り広げたました。

 

破れた吉岡一門は道場を閉じ、染物屋になったとされています。
実際《吉岡伝》には…
清十郎・伝十郎兄弟の名前は無く、[吉岡憲法]と武蔵が闘ったとあり、

染物屋も[憲法染め]として、以前より職業にしていたとされています。

また、吉岡道場閉鎖も武蔵とは関係無く、朝廷内の猿楽興行中、

見物客の吉岡清十郎と警備役人がいざこざを起こし、役人を殺した挙げ句、

斬殺された為であったと伝えられています。
【慶長19年(1614)6月29日・禁裏騒擾(キンリソウジョウ)事件】

 

★書院風のお茶を発展させた [能阿弥]は、お茶の七名・として、
①御手洗
②常盤井
③醒ヶ井(サメガイ)
④水薬師
⑤大通寺
⑥中川井
⑦芹根井

を選んでいます。


さらに、江戸時代には、千利休が利用した、
①利休井②菊水の井③柳井④晴明井⑤三斎井⑥農園井
裏千家が用いた、相国寺の西側⑦梅の井が挙げられます。

京都の名水・は、兵庫県の灘と並び、《伏見》が名酒勀の産地となっています。
江戸時代まで《伏水》と書かれていましたが、明治時代に《伏見》に統一されました。
銘酒に変わる名水は、《石井》から溢れる霊水の《御香水(ゴコウスイ)》が、
御香宮神社に湧き出ていて、現在《全国名水百選》にも認定され飲用ができます。

さて、そんな名水・にも、自然ではなく、人間により壊滅させられる危機・がありました。
昭和3年(1928)、伏見には《陸軍十六師団の施設があり、
京都奈良間を近鉄奈良線が走る際、施設内を見せないようにする為に、地下鉄案が出されたのです。
地下水に影響を及ぼすと考えた酒造業者は大反対して、
伏見に地下水が無くなれば、酒が造れず、酒税納税も減るぞと訴え、
現在の高架式軌道へと変更させました。
危うく、美味しい水も酒勀も飲めなくなるところでした。


【参考文献】
「もっと知りたい!水の都 京都」
鈴木康久.平野圭祐.大滝裕一編・人文書院