2013年07月26日

バッグの染め直し

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こちらは、スタッフ私物のディーン&デルーカのバッグなのですが、9年前に買った物です。

現在販売されているものとかなり規格が違うかもしれません。

白地だったので染みも目立ってしまっていましたが、

帆布なのでとてもしっかりしていて、捨てずに残していました。

そしてこの度、黒色のバッグとして生まれ変わりました!!嬉しい!!泣

本体・白生地の方に染料がしっかり入っているので、黒い文字部分が白く見える現象が起きています。

文字部分は後乗せのプリントなので、染まらないんです。ただし汚れや傷などあると

その部分に染料が入るので、全く最初の段階と同じ色とはいかないんですね。面白いですね。

持ち手は化学繊維のものなので染まりませんでしたが全体的に若干青くなりました。

違う色の物に取り換えて、長く使いたいと思います。

 

クローゼット整理の時など、これは?と思うものがありましたら

馬場染工までお問い合わせください!

 

 

 

京の名水のご紹介

室町時代、京都の名水は染織業の発展に寄与しました。
美味しい水は、酒、お茶に変化したのです。

かつて、京都駅のすぐ西側を南北に《西洞院(ニシノトウイン)川》が流れていて、
常盤井・滋野井・柳の水・等の水脈・を担っていました。

川沿いでは、染織業や製紙業が増え、
江戸時代には、黒染めの一つ、[吉岡憲法]が開発した染めの技術《憲法染め》や《西洞院紙》が生まれました。

吉岡憲法は、あの宮本武蔵との[一乗下がり松]で決闘した人物です。
吉川英治の小説で、宮本武蔵は蓮台野で道場主の《吉岡清十郎》を倒し
その後、三十三間堂で弟:吉岡伝七郎を一撃で殺したのです。
そして、・一乗下り松で、吉岡道場一門70数名相手に、両手双刀で死闘を繰り広げたました。

 

破れた吉岡一門は道場を閉じ、染物屋になったとされています。
実際《吉岡伝》には…
清十郎・伝十郎兄弟の名前は無く、[吉岡憲法]と武蔵が闘ったとあり、

染物屋も[憲法染め]として、以前より職業にしていたとされています。

また、吉岡道場閉鎖も武蔵とは関係無く、朝廷内の猿楽興行中、

見物客の吉岡清十郎と警備役人がいざこざを起こし、役人を殺した挙げ句、

斬殺された為であったと伝えられています。
【慶長19年(1614)6月29日・禁裏騒擾(キンリソウジョウ)事件】

 

★書院風のお茶を発展させた [能阿弥]は、お茶の七名・として、
①御手洗
②常盤井
③醒ヶ井(サメガイ)
④水薬師
⑤大通寺
⑥中川井
⑦芹根井

を選んでいます。


さらに、江戸時代には、千利休が利用した、
①利休井②菊水の井③柳井④晴明井⑤三斎井⑥農園井
裏千家が用いた、相国寺の西側⑦梅の井が挙げられます。

京都の名水・は、兵庫県の灘と並び、《伏見》が名酒勀の産地となっています。
江戸時代まで《伏水》と書かれていましたが、明治時代に《伏見》に統一されました。
銘酒に変わる名水は、《石井》から溢れる霊水の《御香水(ゴコウスイ)》が、
御香宮神社に湧き出ていて、現在《全国名水百選》にも認定され飲用ができます。

さて、そんな名水・にも、自然ではなく、人間により壊滅させられる危機・がありました。
昭和3年(1928)、伏見には《陸軍十六師団の施設があり、
京都奈良間を近鉄奈良線が走る際、施設内を見せないようにする為に、地下鉄案が出されたのです。
地下水に影響を及ぼすと考えた酒造業者は大反対して、
伏見に地下水が無くなれば、酒が造れず、酒税納税も減るぞと訴え、
現在の高架式軌道へと変更させました。
危うく、美味しい水も酒勀も飲めなくなるところでした。


【参考文献】
「もっと知りたい!水の都 京都」
鈴木康久.平野圭祐.大滝裕一編・人文書院